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風景・植物・気候の変化など四季を感じる方法は色々ですが、旬の食材を楽しむことで季節の到来を実感するのは素敵な方法だと思います。昔から季節の食材を取り入れる慣習のある和食は、そんな自然を尊ぶ精神性などが評価され2013年に「和食;日本人の伝統的な食文化」としてユネスコ(国際連合教育科学文化機関)無形文化遺産にも登録されています。農業技術が発達したことで、今では一年中手に入る食材が増えましたが、あえて意識して旬のものを取り入れてみれば日本の豊かな食文化を実感するきっかけになるかもしれません。
和食の起源を遡れば、日本で狩猟と採集による生活が変化したのは縄文時代です。縄文式土器が誕生したことで、加熱した貝などが食べられるようになり、後期には稲作も始まっています。寿司のルーツとされる「なれずし」(魚などを米と塩で漬け乳酸発酵させたもの)も、稲作と同ルートで中国を経て日本に伝わったと言われています。稲作が本格的になっていった弥生時代、かまどが誕生した古墳時代と、米食が普及していきます。この頃は、縄文時代同様、肉や魚、木の実も引き続き食べられていました。
飛鳥時代になり仏教が伝来します。その教えのもと日本で初めての「肉食禁止令」が天武天皇によって出されました。実際には全く食べられていなかったわけではないようですが、明治4年に解禁されるまで、公には肉食はタブーだったのです。そんな歴史の中で発展したのが、鎌倉時代に伝わった仏教の一派、禅宗の僧が食べていた、動物性食品を使用しない精進料理です。その調理法や思想は、和食の成り立ちに大きな影響を与えたと言われています。「出汁」を用いた調理もこの頃に誕生したようです。
日本料理には代表的な形式として「本膳料理」「懐石料理」「会席料理」「精進料理」などがあります。武家がお客をもてなすため、ひとつひとつの膳に料理が並べられる「本膳料理」という形式ができたのが鎌倉・室町時代です。これは非常に儀礼を重んじるものだったそうです。安土桃山時代には、茶の湯のための料理としてお茶を飲む前の軽い食事「懐石料理」という形式が千利休によって確立されました。江戸時代にできた「会席料理」は、お酒を楽しむための形式で、現在の宴会料理のようなもののようです。この頃は、そば、てんぷら、うなぎ、にぎり寿司が人気になるなど、だいぶ現代に近い食生活に思えます。1日3食が習慣化したのもこの時代です。冷蔵庫もなかった時代、江戸の人々は「旬」をとても重視していました。「初物を食べると寿命が75日延びる」という言い伝えが流行したそうですが、特に初鰹への熱狂ぶりはすさまじく驚くほどの高値で取引されていたようです。
江戸幕府の鎖国政策が解除され、西洋文化が積極的に取り入れられた文明開化によって人々の生活が大きく変化した明治時代。食生活においても例外ではなく肉食禁止令が解かれたこともあり、牛鍋(すき焼き)を始め、日本風にアレンジされた和洋折衷料理(洋食)が生まれ、徐々に日本人の食生活は欧米化していきます。昭和以降は、多種多様なレトルト食品やインスタント食品が開発されました。ファーストフード店やファミリーレストランも増えとても便利になりましたがその反面、日本人がお米を食べる量が減り、国内の食料自給率の低下などが問題視されるようになりました。今、和食の価値が見直され継承しようとする活動が盛んに起こっているようです。
ユネスコで登録された、和食の要素としてあげられているのは以下の4つです。
① 多様で新鮮な食材とその持ち味の尊重
② 健康的な食生活を支える栄養バランス
③ 自然の美しさや季節の移ろいの表現
④ 正月などの年中行事との密接な関わり
日本は南北に長く、海に囲まれ、山や川など多様な地形に恵まれた国です。地域ごとの四季折々の食材がとれ、それぞれ異なる風土に培われた多彩な食文化が育まれてきました。和食の「一汁三菜」を基本とするスタイルは、様々な栄養をバランスよく摂取できる健康食と言われます。料理を季節の花や葉で飾り付けたり、季節に合った器を使用したりすることも特徴のひとつです。また、お正月におせちを食べるなどの習わしがありますが、古くから日本人は年中行事に特別な食べ物を用意することで豊作の願いをこめたり、神様への感謝を表したりしてきました。長い歴史の中で培われたこれらの文化的価値を含めたものが「和食」と定義されています。