宝くじの歴史

文化

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 宝くじの起源は2000年以上も前で、「くじ」の収益が中国の「万里の長城」建設費やローマ帝国でのインフラ整備にあてられたのが始まりと言われます。「くじ」は、古代から大事なことを決める場面で多く活用されてきたそうです。神聖で公平な手段だと考えられていたからです。

 日本においては江戸時代初期の寛永元年頃に、摂津国(せっつのくに:現在の大阪府北中部の大半と兵庫県南東部)の箕面山瀧安寺(みのおさんりゅうあんじ)で始まった行事が発祥とされます。お正月の参詣者が自分の名前を書いた木札を唐櫃(からびつ)という箱に入れて、それを1月7日に寺僧がキリで突き、選ばれた人には福運のお守りが授けられる、というものでした。

 その後の「くじ」は次第に「富くじ」と呼ばれ金銭と結びつくようになっていきました。人々が熱狂しすぎてしまい不正も横行、徳川幕府は元禄5年に禁令を出します。特定の寺社には、その後も再建、修復費用の調達に「御免富(ごめんとみ)」と呼ばれる富くじの発売を許可していましたが、天保13年の天保の改革で全面禁止となりました。復活したのは第2次世界大戦末期の昭和20年7月。これは軍事費の調達のために発行されたもので、「勝札(かちふだ)」と名付けられましたが、抽選日前に敗戦し、「負札(まけふだ)」と揶揄されることになりました。とは言え、このくじは戦後も必要とされ、インフレ抑制を目的に「政府第1回宝籤(くじ)」が同年10月に発売されます。この時から「宝くじ」という名前が誕生しました。

 昭和29年には地方自治体の戦後復興資金の調達を目的とした自治宝くじの発売ができるようになりました。その第1号は「福井県復興宝籤」です。別名「ふくふく籤」とも呼ばれます。政府宝くじはこの年廃止され、以降自治宝くじのみが残りました。

 宝くじの賞金は昭和20年の発売当時は10万円でしたが、昭和40年以降700万円以上の高額となり、売り場に行列ができるようになっていました。それほど人気の宝くじですが、換金されずに支払い期限切れとなってしまうものも非常に多かったそうで、昭和42年に時効防止のPRとして「く・じ」の語呂合わせの9月2日が「宝くじの日」と制定されました。

 現在の宝くじの収益は、賞金や経費などを差し引いた約40%が全国の都道府県や20指定都市に納められ、公共事業や福祉施策に活用されているそうです。

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