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	<title>編集部・記者N | Unknown Small JAPAN</title>
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		<title>J-POPの起源</title>
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		<dc:creator><![CDATA[編集部・記者N]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 18 Nov 2025 02:02:25 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[文化]]></category>
		<category><![CDATA[日本]]></category>
		<category><![CDATA[歴史]]></category>
		<category><![CDATA[音楽]]></category>
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					<description><![CDATA[（本ページ記事下のリンクはアフィリエイト広告です） 　近年、海外でJ-POPへの注目が高まっていると聞きます。グラミー賞を主催する米レコーディングアカデミー（正式名：ナショナル・アカデミー・オブ・レコーディング・アーツ・ [&#8230;]]]></description>
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<p class="wp-block-paragraph">　近年、海外でJ-POPへの注目が高まっていると聞きます。グラミー賞を主催する米レコーディングアカデミー（正式名：ナショナル・アカデミー・オブ・レコーディング・アーツ・アンド・サイエンス）の2025年トレンド予測記事でも、J-POPが世界的なブームになるとされていました。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　「J-POP」はJapanese Popの略ですが、この言葉はもともと、FMラジオ局J-WAVEによって1980年代後半から使われ始めたそうです。当初は洋楽中心の番組だったJ-WAVEが、「洋楽と一緒に流しても遜色ない」音楽を「J-POP」と呼び、大滝詠一、山下達郎、サザンオールスターズなどを流し始めたことから広まったようです。音楽がジャンルの垣根を超えて広がっている現代ではその言葉が示す領域もとても幅広くなっているように思いますが、日本が西洋音楽の影響を強く受けてきた延長に生まれた音楽ジャンルであるとは言えそうです。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　西洋音楽は16世紀、キリスト教とともに初めて日本に伝わったと言われていますが、本格的に普及したのは明治時代のことです。近代化を目指した明治の日本では、森有礼（もりありのり）をはじめとした政治家の方針により、西洋音楽の導入が進められました。軍事教育において西洋式軍楽が使われるなどが始まりでしたが、明治12年、文部省内に「音楽取調掛(おんがくとりしらべがかり)」という西洋音楽を主体に研究する機関が設置され、学校教育の分野にも広がっていきます。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　音楽取調掛の初代主任・伊沢修二（いざわしゅうじ）はアメリカの音楽教育家ルーサー・Ｗ・メーソンを日本に呼び寄せて協力を仰ぎ、音楽教員や音楽家の養成、学校教育用の唱歌集の作成などを行いました。日本で初めての五線譜による音楽の教科書『小学唱歌集』が明治14年に出版され、唱歌教育が普及していきます。これまで、日本の民謡や伝統音楽の5音音階にしか聴きなじみのなかった日本人に、ドレミファソラシドなどの７音の西洋音階がここから徐々に身近なものになっていったようです。作曲家の滝廉太郎（たきれんたろう）や山田耕筰（やまだこうさく）は、西洋音楽と日本の伝統音楽を融合した作品も生み出していきました。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　大正～昭和にかけてはラジオやレコード、テレビが普及したことで庶民が娯楽として音楽を楽しむようになりました。戦後の、アメリカのジャズやロックンロール、ポップミュージックからの影響、フォークソング、グループサウンズ、シティ・ポップ、ニューミュージックといった時代ごとに生まれる流行など、日本の音楽は多様性を増していきます。因みに、「日本の心」といったイメージがある演歌は、ポピュラー音楽のかたちで誕生したのは昭和35年以降のことだそうです。すでに西洋音楽の影響下にある音楽が浸透していた中で生まれたジャンルが、とても日本的な世界観をもっているというのも面白いなと思います。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　このような歴史の中で、意識的、あるいは無意識的に西洋音楽をルーツに持つ音楽から影響を受けたり、細分化されたジャンルが融合されたりすることで、バラエティに富む現代の「J-POP」が生まれ続けているのだと思います。</p>



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		<title>ジャポニスム</title>
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		<dc:creator><![CDATA[編集部・記者N]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 09 Apr 2025 11:14:41 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[文化]]></category>
		<category><![CDATA[日本]]></category>
		<category><![CDATA[歴史]]></category>
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					<description><![CDATA[（本ページ記事下のリンクはアフィリエイト広告です） 　まもなく大阪・関西万博が開催されますね。万博には180年近い歴史があるそうです。始まりは1851年の、イギリスのロンドン・ハイドパークで開かれた「第1回ロンドン万国博 [&#8230;]]]></description>
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<p class="wp-block-paragraph">　まもなく大阪・関西万博が開催されますね。万博には180年近い歴史があるそうです。始まりは1851年の、イギリスのロンドン・ハイドパークで開かれた「第1回ロンドン万国博覧会」でした。開催の背景には、産業革命によって大きな発展を遂げ 「世界の工場」と呼ばれるようになったイギリスがその国力を世界に示す目的があったそうです。30万枚のガラスを使って建設されたパビリオン、クリスタルパレス（水晶宮）を目玉としたこの国際博覧会には34か国が参加し当時のイギリス総人口の約3/1と言われる、600万人以上が来場しました。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　この成功を受け、その後も万博は度々開催されるようになります。日本が初参加したのは1867年にフランス・パリで開催された「第2回パリ万国博覧会」です。日本は、1853年にペリー率いる黒船が来航するまで200年以上鎖国を続けていた為、欧州にとって謎に包まれた国でした。この万博で幕府・薩摩藩・佐賀藩、商人の清水卯三郎らが参加し浮世絵や磁器などを出品しましたが、初めて見るこれらの品々に欧州の人々は衝撃を受けたと言います。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　日本美術が海外に知られるきっかけになったのは、葛飾北斎の「北斎漫画」が輸出のクッション材に使われていたからと言われていますが、万博参加によってさらに、日本独特な表現や高い技術が広く知られることになり、”ジャポニスム” と呼ばれる熱狂的な日本趣味ブームへと繋がっていきました。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　ジャポニスムの影響が特に大きかったのは美術の分野でした。よく知られるのはマネや印象派の画家、ゴッホ、モネ、ドガなどの作品に見られる日本趣味です。14世紀ルネサンス以降の西洋美術は遠近法や明暗法などを用いた、立体感のある写実的な表現に重きが置かれていました。日本の浮世絵の、くっきりと輪郭線を使った表現、大胆な構図、日常的なモチーフなどは当時の西洋画家たちにとても新鮮に映ったようです。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　そして美術以外でも、様々な分野の作家がジャポニスムの影響を受けていました。アール・ヌーヴォーを代表するガラス工芸家エミール・ガレもその一人です。アール・ヌーヴォーは産業革命による大量生産に反発した、アーツ・アンド・クラフツ運動の影響から誕生した様式で、芸術を通して生活を美化しようとするものでした。機械では作れない、美しい曲線や自然をモチーフとしたものが多く見られ、ガレの作品には日本的な花鳥風月などをモチーフにした作品が多く存在します。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　音楽では、作曲家クロード・ドビュッシーが浮世絵などから着想を得て作曲したことは有名です。1905年に出版された交響詩《海》の楽譜の表紙には、葛飾北斎の浮世絵シリーズ『冨嶽三十六景』のうちの１枚《神奈川沖浪裏》の左半分が転用されています。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　ファッションの分野では、ルイ・ヴィトンの2代目ジョルジュ・ヴィトンがジャポニスムの影響を受けていました。現在でも人気のダミエ柄は日本古来の市松模様、モノグラム柄は家紋からインスピレーションを受けて考案されたものだと言われています。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　ここで書いたのはいくつかの有名な例ですが、ジャポニスムの波及領域は想像以上に広く、他にも彫刻、建築、文学、絵本など様々な分野でその影響を発見できます。</p>



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<p class="wp-block-paragraph"></p>
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		<title>江戸時代のスキンケア</title>
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		<dc:creator><![CDATA[編集部・記者N]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 07 Feb 2025 05:14:09 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[文化]]></category>
		<category><![CDATA[日本]]></category>
		<category><![CDATA[歴史]]></category>
		<category><![CDATA[美容]]></category>
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<p class="wp-block-paragraph">　「色の白きは七難隠す」ということわざがありますが、これは江戸時代に出版された美容指南書『都風俗化粧伝』（みやこふうぞくけわいでん）に記されている一節だそうです。これを書いたのは佐山半七丸（さやまはんしちまる）という人物で、一説には現在でいう美容研究家のような存在だったのでは、と言われています。“美人”の条件は時代や価値観などで変化していますが、江戸時代のトレンドは色白、キメの細かい肌に薄化粧だったそうです。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　上・中・下三巻で構成された 『都風俗化粧伝』 は、浮世絵師・速水春暁斎（はやみしゅんぎょうさい）の挿絵入りでスキンケアやメイク術、ヘアスタイルや身のこなしに至るまで紹介されています。現代のファッション情報誌のようですが、同種のものの中でも特に記述内容のレベルが高く、長く女性たちのガイドブックとして活用されました。江戸時代後期、文化10（1813）年に京都・大坂・江戸の三都で販売されてから、その後１世紀以上に渡り読み続けられた超ロングセラーです。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　身体の汚れを洗って落とすことは古代から行われていましたが、スキンケアという意識が広まったのが江戸時代と言われています。美肌効果のある洗顔料としてまず使われ始めたのは、米の精米時にとれる糠（ぬか）でした。木綿や絹で作った糠袋（ぬかぶくろ）に糠を入れ、お湯に浸したもので肌をこすります。糠袋は茜木綿（紅木綿）で作られることが多かった為、紅葉袋（もみじぶくろ）とも呼ばれました。当時はメイクに使われる白粉（おしろい）に鉛が含まれていることが多く、皮膚病を防ぐ為にもしっかりと化粧を落として、美白、美肌を保とうとしました。この為に効果的とされたのはウグイスの糞で、糠に加えて使用されることもあったそうです。他に、この時代の洗顔料では「洗い粉」も有名です。平安時代からあった澡豆（そうず）という豆の粉で作られた洗顔料に香料や生薬が加えられたもので、美白効果が期待されていました。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　洗顔料だけでなく、化粧水が普及したのも江戸時代です。始めは白粉をきれいにつける為の化粧下地としての役割だったそうですが、江戸時代中期には肌を整える為のスキンケア用品として使われるようになりました。別名「美人水」とも呼ばれた「へちま水」は、高価な化粧水が買えない庶民に広く使われましたが、江戸城大奥の女中にも献上され愛用されていたそうです。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　市販の化粧水にも有名なものがいくつかあり、林喜左衛門という医師が作った「花の露」はそのひとつですが、これは「都風俗化粧伝」に自作する方法も記載されていました。“蘭引き” という器具を用いてイバラの花のエキスを抽出して作られます。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　そして、最も大ヒットしたのが「江戸の水」という化粧水です。戯作者、浮世絵師として知られ薬屋でもあった式亭三馬（しきていさんば）によって売り出されました。自著の『浮世風呂』にも登場させ、店の広告には「おしろいのよくのる薬」のキャッチコピーをつけるなど、効果的なプロモーションが行われていました。他の、「菊の露」などの人気商品と中身自体は大きく変わるものではなかったようですが、この時代にも宣伝による効果は大きいものだったようです。</p>



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		<title>宝くじの歴史</title>
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		<dc:creator><![CDATA[編集部・記者N]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 19 Dec 2024 10:22:27 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[文化]]></category>
		<category><![CDATA[冬]]></category>
		<category><![CDATA[歴史]]></category>
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<p class="wp-block-paragraph">　宝くじの起源は2000年以上も前で、「くじ」の収益が中国の「万里の長城」建設費やローマ帝国でのインフラ整備にあてられたのが始まりと言われます。「くじ」は、古代から大事なことを決める場面で多く活用されてきたそうです。神聖で公平な手段だと考えられていたからです。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　日本においては江戸時代初期の寛永元年頃に、摂津国(せっつのくに：現在の大阪府北中部の大半と兵庫県南東部）の箕面山瀧安寺（みのおさんりゅうあんじ）で始まった行事が発祥とされます。お正月の参詣者が自分の名前を書いた木札を唐櫃（からびつ）という箱に入れて、それを１月7日に寺僧がキリで突き、選ばれた人には福運のお守りが授けられる、というものでした。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　その後の「くじ」は次第に「富くじ」と呼ばれ金銭と結びつくようになっていきました。人々が熱狂しすぎてしまい不正も横行、徳川幕府は元禄5年に禁令を出します。特定の寺社には、その後も再建、修復費用の調達に「御免富（ごめんとみ）」と呼ばれる富くじの発売を許可していましたが、天保13年の天保の改革で全面禁止となりました。復活したのは第2次世界大戦末期の昭和20年7月。これは軍事費の調達のために発行されたもので、「勝札（かちふだ）」と名付けられましたが、抽選日前に敗戦し、「負札（まけふだ）」と揶揄されることになりました。とは言え、このくじは戦後も必要とされ、インフレ抑制を目的に「政府第1回宝籤（くじ）」が同年10月に発売されます。この時から「宝くじ」という名前が誕生しました。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　昭和29年には地方自治体の戦後復興資金の調達を目的とした自治宝くじの発売ができるようになりました。その第１号は「福井県復興宝籤」です。別名「ふくふく籤」とも呼ばれます。政府宝くじはこの年廃止され、以降自治宝くじのみが残りました。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　宝くじの賞金は昭和20年の発売当時は10万円でしたが、昭和40年以降700万円以上の高額となり、売り場に行列ができるようになっていました。それほど人気の宝くじですが、換金されずに支払い期限切れとなってしまうものも非常に多かったそうで、昭和42年に時効防止のPRとして「く・じ」の語呂合わせの9月2日が「宝くじの日」と制定されました。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　現在の宝くじの収益は、賞金や経費などを差し引いた約40%が全国の都道府県や20指定都市に納められ、公共事業や福祉施策に活用されているそうです。</p>



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<p class="wp-block-paragraph"></p>
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		<title>日本とクリスマス</title>
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		<dc:creator><![CDATA[編集部・記者N]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 13 Dec 2024 07:59:56 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[文化]]></category>
		<category><![CDATA[冬]]></category>
		<category><![CDATA[日本]]></category>
		<category><![CDATA[歴史]]></category>
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					<description><![CDATA[（本ページ記事下のリンクはアフィリエイト広告です） 　今年もクリスマスが近づいてきました。クリスマスはイエス・キリストの降誕祭ですが、キリスト教徒でなくても多くの人々が楽しめるイベントとして日本でも定着しています。Chr [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
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<p class="wp-block-paragraph">　今年もクリスマスが近づいてきました。クリスマスはイエス・キリストの降誕祭ですが、キリスト教徒でなくても多くの人々が楽しめるイベントとして日本でも定着しています。ChristmasのChristは「キリスト」を、masは「ミサ」を意味しますが、日本で初めてクリスマスのミサが行われたのは1552年（室町時代/天文21年）だそうです。フランシスコ・ザビエルとともに来日したコスメ・デ・トーレスというイエズス会の宣教師が中心となって、周防国（すおうのくに：現在の山口県山口市）に信徒を集めて行った「ナタラ」が始まりと言われます。「ナタラ」とは「クリスマス」を意味するポルトガル語だそうです。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　その後しばらくは鎖国政策によりキリスト教は弾圧されていましたが、明治時代になって徐々に日本中にクリスマスが浸透していきます。俳人の正岡子規（まさおかしき）は俳句の季語にいち早くクリスマスを取り入れました。明治25年の句 、『臘八の　あとにかしまし　くりすます』 は、「臘八（ろうはち）」という厳粛な仏教行事の後にやかましいクリスマスがやってくるという、皮肉っぽい内容でした。子規はその後もクリスマスについての句をいくつか残しています。明治33年には銀座の明治屋が始めたクリスマス飾りが話題となり、他の店でも取り入れられることが増えていきました。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　第二次世界大戦によりクリスマスは再び影を潜めますが、戦後に復活してからは本格的に一般家庭に広まります。大正天皇が崩御されたのが大正15年12月25日だったことで、昭和22年までこの日は休日でした。クリスマス（教会歴では12/24日没～12/25日没まで）が休日に重なったことが、広く普及するきっかけになったと言われています。明治43年創業の不二家は日本で初めてクリスマスケーキを販売しました。戦後の砂糖、小麦粉の統制が撤廃された昭和27年頃からは販売が強化され、これにより日本でクリスマスにケーキを食べる慣習が定着していきました。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　クリスマスは宗教行事としての意味から変化し続け、これは一部の人々からは問題視されることもあります。1951年、フランスのディジョン大聖堂で、聖職者たちがサンタクロースの人形を鉄格子に吊るし、「異端の象徴」として火あぶりにすることで抗議しようとした事件も起こったほどでした。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　けれどやはり、街がツリーやイルミネーションで飾られ、クリスマスソングが流れ、チキンやケーキを食べて過ごすといった、時代の流れの中で根づいたクリスマスにしか味わえない体験は寒い冬にわくわくさせてくれる魅力があります。</p>



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<p class="wp-block-paragraph"></p>
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		<title>忍者 -Ninja-</title>
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		<dc:creator><![CDATA[編集部・記者N]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 15 Nov 2024 08:34:25 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[文化]]></category>
		<category><![CDATA[日本]]></category>
		<category><![CDATA[歴史]]></category>
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					<description><![CDATA[（本ページ記事下のリンクはアフィリエイト広告です） 　漫画やアニメなどで取り上げられることの多い「忍者」。 その存在は “Ninja（ニンジャ）” として海外でも知られ世界を魅了しています。日本というイメージが強いキャラ [&#8230;]]]></description>
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<p class="wp-block-paragraph">　漫画やアニメなどで取り上げられることの多い「忍者」。 その存在は “Ninja（ニンジャ）” として海外でも知られ世界を魅了しています。日本というイメージが強いキャラクターですが、日本人の私からしても、得体の知れないミステリアスな魅力があります。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　「忍者」という呼び名が定着したのは昭和30年代頃で、もともとは「忍び」など時代や地域によって数多くの呼び名があったそうです。起源は明確ではないものの、一説には飛鳥時代、聖徳太子に仕えて諜報活動を行い、「志能便(備)（しのび）」という称号を与えられた大伴細入（おおとものさびと/ 異名： ほそひと、さいにゅう）がルーツとも言われています。史料上では忍者の存在が確認できるのは南北朝時代以降のようです。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　忍者の役割の中で特に重要だったのが「生間（せいかん）」と呼ばれる任務でした。これは敵国に侵入して情報を収集し、生きて自国に戻りその情報を伝えるというもので、任務を全うするためには死を回避する必要があった為、目立たないよう隠れ、逃げる技が磨かれました。現代の忍者像とは違い、実在の忍者はできる限り戦いを避けていたのです。しかし戦国時代には、大名、領主に仕えたり雇われたりして、破壊工作や暗殺なども行っていました。全国各地に数多くの流派がありましたが、その中でもよく知られているのが伊賀（三重県伊賀地方）の忍者と、丘陵を挟んで伊賀と隣接している甲賀（滋賀県甲賀地方）の忍者です。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　伊賀流忍者は、鎌倉時代の「悪党」が起源だと言われています。悪党とは、鎌倉時代の末期、貴族や寺院などの荘園領主の支配に逆らった人々のことです。室町時代に入って寺社勢力が衰えると悪党もいなくなっていきましたが、その後は悪党の血をひく「地侍（じざむらい）」が活躍しました。地侍はもともと百姓で、大名などと主従関係を結び侍の身分となった者のことです。やがて地侍は「忍び」と呼ばれるようになります。午前中は農業に勤しみ、午後は寺に集まって訓練をするという生活を送り、山岳地帯の自然の中で身体を鍛えることで高い戦闘能力を身につけていきました。また、当時政治の中心だった京都から近かったため亡命してきた教養のある人材と交流を持つことも多く、様々な情報に精通することができたようです。除災戦勝を祈る有名な『九字護身法（くじごしんほう）』などの呪術や、火薬の原料が入手しやすい地域だったため火術も得意技でした。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　伊賀忍者といえば、「服部半蔵（はっとりはんぞう）」が有名ですが、これは特定の人物を指す名ではなく、一族が代々名乗っていた通称です。服部家は戦国時代には「千賀地（ちがち）」「百地（ももち）」「藤林（ふじばやし）」の三家に分かれた『上忍三家（じょうにんさんけ）』として伊賀忍者を統率しました。伊賀流では依頼を受けて戦闘する場合、雇い主とは金銭による契約のみでそれ以上の繋がりはもたなかったそうです。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　甲賀流忍者は、日本古来の山岳信仰をベースとした宗教、修験道（しゅげんどう）が起源と言われます。甲賀流では上忍三家のような有力者は存在しませんでした。対等な立場の人々で「惣（そう）」という独自の共同体を形成し、意思決定も話し合いや多数決で行っていたそうです。また、依頼を受けるのは特定の主君であったのも甲賀流の特徴です。甲賀地域には薬草が豊富に自生していたため医療や薬の知識に長け、薬を売り歩きながら諜報活動を行っていたとも言われています。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　江戸時代に入り泰平の世になると、忍者の活躍の場も徐々に減っていきましたが、当時流行した歌舞伎や浮世絵などでは忍者が好んで取り上げられ、黒装束や手裏剣といった現代の忍者像につながるイメージが形成されていきました。キリスト教布教のためにイエズス会が編纂した「日葡辞書」（日本語をポルトガル語で説明した辞書）が慶長8年に刊行されていますが、ここには忍者は「Ｘinobi」（シノビ）として、「戦争の際に、状況を探るために、夜、または、こっそりと隠れて城内へよじ上ったり陣営内に入ったりする間諜（かんちょう）」と記されているらしく、すでにこの時代には海外でも忍者の存在が認識されていたようです。</p>



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		<title>『和食』の文化的価値</title>
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		<dc:creator><![CDATA[編集部・記者N]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 07 Oct 2024 06:04:13 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[文化]]></category>
		<category><![CDATA[食]]></category>
		<category><![CDATA[健康]]></category>
		<category><![CDATA[和食]]></category>
		<category><![CDATA[日本]]></category>
		<category><![CDATA[歴史]]></category>
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<p class="wp-block-paragraph">　風景・植物・気候の変化など四季を感じる方法は色々ですが、旬の食材を楽しむことで季節の到来を実感するのは素敵な方法だと思います。昔から季節の食材を取り入れる慣習のある和食は、そんな自然を尊ぶ精神性などが評価され2013年に「和食；日本人の伝統的な食文化」としてユネスコ（国際連合教育科学文化機関）無形文化遺産にも登録されています。農業技術が発達したことで、今では一年中手に入る食材が増えましたが、あえて意識して旬のものを取り入れてみれば日本の豊かな食文化を実感するきっかけになるかもしれません。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　和食の起源を遡れば、日本で狩猟と採集による生活が変化したのは縄文時代です。縄文式土器が誕生したことで、加熱した貝などが食べられるようになり、後期には稲作も始まっています。寿司のルーツとされる「なれずし」（魚などを米と塩で漬け乳酸発酵させたもの）も、稲作と同ルートで中国を経て日本に伝わったと言われています。稲作が本格的になっていった弥生時代、かまどが誕生した古墳時代と、米食が普及していきます。この頃は、縄文時代同様、肉や魚、木の実も引き続き食べられていました。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　飛鳥時代になり仏教が伝来します。その教えのもと日本で初めての「肉食禁止令」が天武天皇によって出されました。実際には全く食べられていなかったわけではないようですが、明治4年に解禁されるまで、公には肉食はタブーだったのです。そんな歴史の中で発展したのが、鎌倉時代に伝わった仏教の一派、禅宗の僧が食べていた、動物性食品を使用しない精進料理です。その調理法や思想は、和食の成り立ちに大きな影響を与えたと言われています。「出汁」を用いた調理もこの頃に誕生したようです。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　日本料理には代表的な形式として「本膳料理」「懐石料理」「会席料理」「精進料理」などがあります。武家がお客をもてなすため、ひとつひとつの膳に料理が並べられる「本膳料理」という形式ができたのが鎌倉・室町時代です。これは非常に儀礼を重んじるものだったそうです。安土桃山時代には、茶の湯のための料理としてお茶を飲む前の軽い食事「懐石料理」という形式が千利休によって確立されました。江戸時代にできた「会席料理」は、お酒を楽しむための形式で、現在の宴会料理のようなもののようです。この頃は、そば、てんぷら、うなぎ、にぎり寿司が人気になるなど、だいぶ現代に近い食生活に思えます。1日3食が習慣化したのもこの時代です。冷蔵庫もなかった時代、江戸の人々は「旬」をとても重視していました。「初物を食べると寿命が75日延びる」という言い伝えが流行したそうですが、特に初鰹への熱狂ぶりはすさまじく驚くほどの高値で取引されていたようです。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　江戸幕府の鎖国政策が解除され、西洋文化が積極的に取り入れられた文明開化によって人々の生活が大きく変化した明治時代。食生活においても例外ではなく肉食禁止令が解かれたこともあり、牛鍋（すき焼き）を始め、日本風にアレンジされた和洋折衷料理（洋食）が生まれ、徐々に日本人の食生活は欧米化していきます。昭和以降は、多種多様なレトルト食品やインスタント食品が開発されました。ファーストフード店やファミリーレストランも増えとても便利になりましたがその反面、日本人がお米を食べる量が減り、国内の食料自給率の低下などが問題視されるようになりました。今、和食の価値が見直され継承しようとする活動が盛んに起こっているようです。</p>



<p class="wp-block-paragraph">ユネスコで登録された、和食の要素としてあげられているのは以下の4つです。<br>① 多様で新鮮な食材とその持ち味の尊重<br>② 健康的な食生活を支える栄養バランス<br>③ 自然の美しさや季節の移ろいの表現<br>④ 正月などの年中行事との密接な関わり</p>



<p class="wp-block-paragraph">　日本は南北に長く、海に囲まれ、山や川など多様な地形に恵まれた国です。地域ごとの四季折々の食材がとれ、それぞれ異なる風土に培われた多彩な食文化が育まれてきました。和食の「一汁三菜」を基本とするスタイルは、様々な栄養をバランスよく摂取できる健康食と言われます。料理を季節の花や葉で飾り付けたり、季節に合った器を使用したりすることも特徴のひとつです。また、お正月におせちを食べるなどの習わしがありますが、古くから日本人は年中行事に特別な食べ物を用意することで豊作の願いをこめたり、神様への感謝を表したりしてきました。長い歴史の中で培われたこれらの文化的価値を含めたものが「和食」と定義されています。</p>



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		<title>明治時代の絵本『ちりめん本』</title>
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		<dc:creator><![CDATA[編集部・記者N]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 13 Sep 2024 09:31:45 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[文化]]></category>
		<category><![CDATA[日本]]></category>
		<category><![CDATA[本]]></category>
		<category><![CDATA[歴史]]></category>
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<p class="wp-block-paragraph">　近年日本の漫画などが海外でも人気ですが、明治時代にも海外で喜ばれた書物がありました。『ちりめん本』（英：Crepe Paper Books）という、多色の挿し絵と欧文が木版刷りされた和紙をちりめん状に加工し和綴じ製本したもので、しっとり柔らかい手触りでとても美しく、現在では美術品としての価値も高まっています。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　明治17年に長谷川弘文社という出版社を立ち上げた長谷川武次郎（はせがわ たけじろう）によって刊行されました。もともとは日本の子どもの語学教育のためのテキストとして考案されたものでしたが、当時ヨーロッパは浮世絵に影響されたジャポニズムと呼ばれる日本ブームの最盛期。浮世絵画法の挿し絵が使われた美しい工芸品であるちりめん本は日本土産として好評を博し、後には海外の出版社とも共同出版するなど、結果的に日本の文化を他国に紹介する役目を帯びていったようです。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　ちりめん本の代名詞ともいえる有名な「日本昔噺」シリーズ（英： Japanese Fairy Tale Series）は、「桃太郎」「舌切雀」「猿蟹合戦」「花咲爺」「かちかち山」など、日本の古くから伝わるおとぎ話を題材とした20巻21冊（No. 16の「鉢かづき」が後に「分福茶釜」に差し替えられた為1冊多い）のシリーズで、明治18年から明治25年に刊行されました。英語、フランス語、ドイツ語、スペイン語、オランダ語、ポルトガル語版などが出版されています。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　長谷川武次郎に協力して翻訳を行った在日欧米人には、アメリカ合衆国長老教会宣教師のデビッド・タムソン、同会の宣教師、医師でヘボン式ローマ字の開発者として知られるジェームズ・ヘボン、著名な日本研究家のB.H.チェンバレン、チェンバレンが親しくしていた英国海軍兵トーマス・ジェイムズの妻ケイト・ジェイムズ、アメリカの出版社の通信員として来日し、後に帰化して「小泉八雲（こいずみ やくも）」として知られることになる作家ラフカディオ・ハーンらがいました。挿絵画家には小林永濯（こばやし えいたく / 画号：鮮斎永濯 せんさい えいたく）、鈴木華邨（すずき かそん）などの一流の日本画家の名が並んでいます。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　この「日本昔噺」シリーズは続編（No.21～25）や番外編の「竹取物語」、第2シリーズ No1～3と続きました。続編のNo23～25は小泉八雲の著作で、これらに別の2冊を合わせ、小泉八雲作品を集めた5冊セットでも刊行されています。ちりめん本人気は昭和初期頃まで続き、「日本昔噺」シリーズ以外にも日本の文化を紹介したものやカレンダー、観光案内や、長谷川弘文社以外の出版社から発行されたものも存在します。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　現在では価格も高騰傾向で手軽には入手しづらくなっていますが、博物館展示やデータベースなどでその魅力に触れることができます。</p>



<p class="wp-block-paragraph">■<span class="bold">国際日本文化研究センター ちりめん本データベース</span></p>




<a rel="noopener" href="https://shinku.nichibun.ac.jp/chirimen" title="&#12385;&#12426;&#12417;&#12435;&#26412;&#12487;&#12540;&#12479;&#12505;&#12540;&#12473;" class="blogcard-wrap external-blogcard-wrap a-wrap cf" target="_blank"><div class="blogcard external-blogcard eb-left cf"><div class="blogcard-label external-blogcard-label"><span class="fa"></span></div><figure class="blogcard-thumbnail external-blogcard-thumbnail"><img loading="lazy" decoding="async" src="https://s.wordpress.com/mshots/v1/https%3A%2F%2Fshinku.nichibun.ac.jp%2Fchirimen?w=320&#038;h=180" alt="" class="blogcard-thumb-image external-blogcard-thumb-image" width="320" height="180" /></figure><div class="blogcard-content external-blogcard-content"><div class="blogcard-title external-blogcard-title">&#12385;&#12426;&#12417;&#12435;&#26412;&#12487;&#12540;&#12479;&#12505;&#12540;&#12473;</div><div class="blogcard-snippet external-blogcard-snippet"></div></div><div class="blogcard-footer external-blogcard-footer cf"><div class="blogcard-site external-blogcard-site"><div class="blogcard-favicon external-blogcard-favicon"><img loading="lazy" decoding="async" src="https://www.google.com/s2/favicons?domain=https://shinku.nichibun.ac.jp/chirimen" alt="" class="blogcard-favicon-image external-blogcard-favicon-image" width="16" height="16" /></div><div class="blogcard-domain external-blogcard-domain">shinku.nichibun.ac.jp</div></div></div></div></a>



<p class="wp-block-paragraph"></p>



<p class="wp-block-paragraph"></p>



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		<item>
		<title>そうめんを選ぶ</title>
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		<dc:creator><![CDATA[編集部・記者N]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 22 Jul 2024 08:11:56 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[食]]></category>
		<category><![CDATA[和食]]></category>
		<category><![CDATA[夏]]></category>
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<p class="wp-block-paragraph">　夏はそうめん。とよく耳にするけれど、私自身は頻繁にそうめんを食べる習慣がありませんでした。ただ最近、めんつゆで食べる以外にも美味しそうなアレンジレシピを目にしたりして、今までになく興味をそそられています。今夏はもっと日常に取り入れてみようと思い、先ずはそうめんについて調べてみました。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　そうめんというと日本という感じもしますが、起源は中国のようです。索餅（さくべい）という、小麦粉と米粉を混ぜ合わせたものを伸ばして縄状にねじったお菓子が原型で、これをおよそ1700年前の魏の時代 （日本は奈良時代）に遣唐使が持ち帰り日本に伝えたと言われています。その後鎌倉時代から室町時代にかけて製法が確立され、現在のそうめんのかたちになったそうです。この頃はまだ高級食材で、生産が活発になった江戸時代に入ってから庶民にも親しまれるようになりました。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　そうめんの原料は小麦粉、塩、水ですが、油を使用する場合もあります。現在の製法で大きく分類すると手延べ式と機械式の2種類があり、手延べ式は多くの場合油が使われます。ちなみに、ひやむぎやうどんも原料は基本的に同じですが、麺の太さで分類されていて、「そうめん」とされるのは直径1.3mm未満（手延べ式の場合は1.7mm未満はそうめん、ひやむぎ、どちらの表記も可）とJAS規格で定められているそうです。同じ生地でも太さによっては「そうめん」ではなくなるんですね。一般的に、手作業によって作られる手延べそうめんは麺が細くてのど越しが良く、コシがあると言われています。また、熟成することでもコシが強くなるそうです。熟成期間によって</p>



<p class="wp-block-paragraph">「新物（しんもの）」 製造された年に販売されるもの<br>「古物（ひねもの）」 1年間熟成させたもの<br>「大古物（おおひねもの）」 2年間熟成させたもの</p>



<p class="wp-block-paragraph">とされます。この熟成期間や、麺の太さ、原材料の質などでランク付けされることもあります。例えば、そうめんに詳しくない私でもそのパッケージを思い浮かべるほどに有名なブランド『揖保乃糸（いぼのいと）』は、代表的な等級が7つあるそうです。</p>



<p class="wp-block-paragraph">「三神（さんしん）」（黒帯）<br>「特級」（黒帯）<br>「縒つむぎ（よりつむぎ）」（紫帯）<br>「播州小麦（ばんしゅうこむぎ）」（緑帯）<br>「熟成麺」（金帯）<br>「上級」（赤帯）<br>「太づくり（ふとづくり）」（赤紫帯）</p>



<p class="wp-block-paragraph">とされ、黒帯の「三神」と「特級」は贈答用とされるような高級品、スーパーでよく見かける代表的な等級は「上級」（赤帯）です。そうめんの産地は西日本を中心として全国に数多くありますが、日本三大そうめんとされるのが<br>「播州手延べそうめん（兵庫県）」<br>「三輪そうめん（奈良県）」<br>「小豆島そうめん（香川県）」<br>と言われていて、『揖保乃糸』 はそのひとつ播州手延べそうめんのブランドです。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　お店でそうめんの棚を見ると、1店舗でも様々な種類が並んでいることが珍しくありませんが、乾麺は見た目にどれが美味しそうか判断がしにくいと思っていました。これからは産地や麺の太さ、熟成期間に注目してみたいと思います。</p>



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		<item>
		<title>メイド喫茶の発祥と変遷</title>
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		<dc:creator><![CDATA[編集部・記者N]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 10 Jul 2024 10:35:39 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[文化]]></category>
		<category><![CDATA[カフェ]]></category>
		<category><![CDATA[秋葉原]]></category>
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<p class="wp-block-paragraph">　外国人観光客にも人気の秋葉原。電化製品、PCパーツ、アニメ、アイドル文化など、その街のイメージはあらゆる側面があり、メイド喫茶もそのひとつだと思います。メイド喫茶というものが話題になり始めた頃は特殊なお店という印象が強かったですが、いつのまにか店舗数も増え、今では観光スポットとしても定着しています。メイド喫茶とはどのように生まれたのでしょうか。起源と言われるのは明治時代まで遡ります。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　明治44年、銀座に「カフェー・ライオン（現在の銀座ライオン）」 というカフェが開業されました。このカフェでは女性給仕たちが、お揃いのコスチューム（和服にエプロン）で接客することが売りとなっていて、このことからメイド喫茶の原型とも言われます。接客の形式として、メイド喫茶のように女性給仕が来店客と直接話をするようになったのは開業からだいぶ経った後、昭和6年頃からだったようです。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　現在のメイド喫茶のより直接的なルーツと考えられているのは、1998年、キャラクターコンテンツ制作会社のブロッコリーがアニメ・キャラクター関連商品の展示会『東京キャラクターショー1998』で出展ブースに設置した喫茶店です。この喫茶店は人気ゲームソフト「Piaキャロットへようこそ!! 2」に出てくるレストランを模したもので、キャラクターのコスプレをしたウェイトレスが接客を行いました。これは当時としては他に類を見ない斬新な企画で、大好評だったそうです。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　同社が経営するキャラクターショップ、ゲーマーズスクエア店でも同様のコンセプトの 「Piaキャロレストラン」を1999年から数回に渡り期間限定でオープン。2000年5月には、常設の店舗となる「Cafe de COSPA(カフェ・ド・コスパ)」がオープンしました。この時は、「Piaキャロットへようこそ!! 2」にとどまらない、コスプレ喫茶になっていたようです。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　2001年、ゲーマーズスクエア店の店舗運営権が、コスプレ衣装などの制作・販売会社コスパに移譲され「Cafe de COSPA(カフェ・ド・コスパ)」は閉店、その後はコスチュームがメイド服に統一された、コスパ経営の「Cure Maid Cafe(キュアメイドカフェ)」へと変化しました。日本のメイド喫茶の第一号と言われます。「Cure Maid Cafe(キュアメイドカフェ)」は ”癒し”の空間をコンセプトとしたカフェでしたが、その後秋葉原に増えていくメイド喫茶は、よりメイドさん自身に重点が置かれる傾向が強くなっていきます。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　戦後、秋葉原は電気街として栄えましたが、1995年放映のテレビアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』ブーム後、フィギュアメーカーの海洋堂が秋葉原に出店したことをきっかけに同種のショップが多く進出し、アニメ・漫画といったポップカルチャーの街としての色合いが強まっていました。さらに大きく変化していったのは2000年以降。再開発が進み、「オタクの街」と言われた秋葉原がメディアに取り上げられることが増えていきます。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　インターネットの電子掲示板2チャンネルへの書き込みが発端となって書籍化、テレビドラマ化、映画化されたオタクが主人公のラブストーリー『電車男』は一大ブームになりました。このドラマに登場するメイド喫茶は、2003年オープンの秋葉原のメイド喫茶「ぴなふぉあ」（2022年～営業休止中）がロケ地になっています。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　2004年オープンの、現在では秋葉原と大阪合わせて10店舗を構えるメイド喫茶「あっとほぉーむカフェ」から生まれたメイドアイドルユニット『完全メイド宣言』は、2005年 「萌え～」でユーキャンの新語・流行語大賞トップ10を受賞し、話題になりました。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　かつて否定的な印象を持たれがちだったオタク文化が、メディアによって一般に広まったことで徐々に肯定的に捉えられるようになっていき、メイド喫茶の来店客もオタクだけではなくなりました。秋葉原の観光地化が進んだことも影響して様々な層が楽しめるサービスを充実させる店舗が増え、メイド喫茶のエンターテイメント性は進化し続けているようです。</p>



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