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近年、海外でJ-POPへの注目が高まっていると聞きます。グラミー賞を主催する米レコーディングアカデミー(正式名:ナショナル・アカデミー・オブ・レコーディング・アーツ・アンド・サイエンス)の2025年トレンド予測記事でも、J-POPが世界的なブームになるとされていました。
「J-POP」はJapanese Popの略ですが、この言葉はもともと、FMラジオ局J-WAVEによって1980年代後半から使われ始めたそうです。当初は洋楽中心の番組だったJ-WAVEが、「洋楽と一緒に流しても遜色ない」音楽を「J-POP」と呼び、大滝詠一、山下達郎、サザンオールスターズなどを流し始めたことから広まったようです。音楽がジャンルの垣根を超えて広がっている現代ではその言葉が示す領域もとても幅広くなっているように思いますが、日本が西洋音楽の影響を強く受けてきた延長に生まれた音楽ジャンルであるとは言えそうです。
西洋音楽は16世紀、キリスト教とともに初めて日本に伝わったと言われていますが、本格的に普及したのは明治時代のことです。近代化を目指した明治の日本では、森有礼(もりありのり)をはじめとした政治家の方針により、西洋音楽の導入が進められました。軍事教育において西洋式軍楽が使われるなどが始まりでしたが、明治12年、文部省内に「音楽取調掛(おんがくとりしらべがかり)」という西洋音楽を主体に研究する機関が設置され、学校教育の分野にも広がっていきます。
音楽取調掛の初代主任・伊沢修二(いざわしゅうじ)はアメリカの音楽教育家ルーサー・W・メーソンを日本に呼び寄せて協力を仰ぎ、音楽教員や音楽家の養成、学校教育用の唱歌集の作成などを行いました。日本で初めての五線譜による音楽の教科書『小学唱歌集』が明治14年に出版され、唱歌教育が普及していきます。これまで、日本の民謡や伝統音楽の5音音階にしか聴きなじみのなかった日本人に、ドレミファソラシドなどの7音の西洋音階がここから徐々に身近なものになっていったようです。作曲家の滝廉太郎(たきれんたろう)や山田耕筰(やまだこうさく)は、西洋音楽と日本の伝統音楽を融合した作品も生み出していきました。
大正~昭和にかけてはラジオやレコード、テレビが普及したことで庶民が娯楽として音楽を楽しむようになりました。戦後の、アメリカのジャズやロックンロール、ポップミュージックからの影響、フォークソング、グループサウンズ、シティ・ポップ、ニューミュージックといった時代ごとに生まれる流行など、日本の音楽は多様性を増していきます。因みに、「日本の心」といったイメージがある演歌は、ポピュラー音楽のかたちで誕生したのは昭和35年以降のことだそうです。すでに西洋音楽の影響下にある音楽が浸透していた中で生まれたジャンルが、とても日本的な世界観をもっているというのも面白いなと思います。
このような歴史の中で、意識的、あるいは無意識的に西洋音楽をルーツに持つ音楽から影響を受けたり、細分化されたジャンルが融合されたりすることで、バラエティに富む現代の「J-POP」が生まれ続けているのだと思います。
